今や実力派女優として知られる倉科カナさん。
しかし、倉科カナさんの若い頃は想像以上に波乱万丈だったことをご存知でしょうか?
今回は、倉科カナさんの知られざる若い頃のエピソードや、芸能界デビューまでの道のりをご紹介します。
3つのアルバイトを掛け持ちしていた高校生時代や、グラビアアイドルとしてのデビュー、そして朝ドラヒロインとしてブレイクするまでの軌跡をたどってみましょう。
倉科カナさんの努力と成長の物語に、きっと驚かされることでしょう!
倉科カナの若い頃の家庭環境と3つのアルバイト

倉科カナさんは1987年12月23日、熊本県熊本市で生まれました。
5人きょうだいの長女として育った倉科カナさんの家庭環境は、決して平坦なものではありませんでした。
両親の離婚をきっかけに、母子家庭となった倉科家。
家計を支えるため、高校生だった倉科カナさんは驚くべき行動を取ります。
なんと、3つのアルバイトを掛け持ちしたのです。
牛丼店、ファミリーレストラン、石材店と、学校帰りや休日も忙しく働き続けました。
授業や部活の後にアルバイト先を掛け持ちし、睡眠時間も削りながら家計を支えたのです。
このような苦労人の一面がある一方で、倉科カナさんには意外な特徴もありました。
それは、大の時代劇ファンだったということ。
祖父の影響で幼少期から時代劇をよく見ていたそうで、「おじいちゃんっ子」だったと語っています。
また、最近のSNS投稿で明かされた「やんちゃな少女時代」のエピソードも興味深いものです。
2024年の母の日に投稿されたInstagramでは、勉強嫌いだった少女時代の写真とともに、「やんちゃで、やんちゃで!!」と振り返っています。
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倉科カナのグラビアデビューと芸能界入りのきっかけ

倉科カナさんの芸能界デビューは、まさに運命的な出来事から始まりました。
2005年、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)が開催した「SMA Teensオーディション2005」に出場した倉科カナさん。
祖母が撮影した仏壇の前でピースする写真で応募したところ、一次選考で落選してしまいます。
しかし、ここで驚きの展開が。
なんと社長の目に留まり、「敗者復活」に呼ばれてグランプリを受賞したのです。

この受賞が芸能界入りのきっかけとなり、翌2006年には講談社主催の水着コンテスト「ミスマガジン2006」でグランプリを獲得。
豊かな笑顔とスタイルが評価され、18歳にしてグラビアアイドルとしてデビューを果たしました。
その後、CMやバラエティー番組、雑誌の表紙で活躍。

NHK『土曜スタジオパーク』でサブMCを務めるなど、着実にキャリアを積み重ねていきました。
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朝ドラヒロインから実力派女優へ

倉科カナさんの女優としての大きなブレイクは、2009年のNHK連続テレビ小説「ウェルかめ」でのヒロイン抜擢でした。

応募総数1775人のオーディションを勝ち抜き、見事ヒロインの座を射止めたのです。
制作発表会では、「面接直前にオーディションの最終審査があると聞かされてビックリした」と語り、その素直な反応が話題を呼びました。
朝ドラを機に全国的な知名度を得た倉科カナさんは、その後もドラマ『刑事7人』や映画・舞台に出演。
着実にキャリアを積み重ね、2022年には読売演劇大賞で優秀女優賞を受賞するまでに成長しました。
デビューから15年以上が経った今も、実力派女優として第一線で活躍し続ける倉科カナさん。
その姿からは、若い頃の苦労や努力が実を結んだことが伺えます。
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まとめ
倉科カナさんの若い頃は、現在の落ち着いたイメージからは想像しにくいほど波乱に富んでいました。
・熊本の母子家庭で5人きょうだいの長女として家計を支える
・高校生時代に3つのアルバイトを掛け持ち
・祖父の影響で時代劇マニアに
・SMAオーディションで一度落選するも復活してグランプリに
・グラビアアイドルを経て朝ドラヒロインに
これらのエピソードは、倉科カナさんの努力と成長の軌跡を物語っています。
家庭環境や経済的な困難を乗り越え、夢を追い続けた倉科カナさんの姿勢は、多くの人に勇気を与えるのではないでしょうか。
今や実力派女優として確固たる地位を築いた倉科カナさん。
倉科カナさんの今後の活躍にも、ますます注目が集まりそうです。
それでは、ありがとうございました!
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